- 2015-05-16 Sat 22:48:58
- 羅臼
廃校になってからそれほど立っていないはずですが、今では校舎も無く。石碑くらいしか当時を忍ぶことができません。

国道沿いにある飛仁帯小学校閉校の石碑。ぽつんとこの石碑だけが残っています。

卒業記念の物らしいですが。こういう記念物も次第に色あせていくのでしょうか。

おそらくグラウンド跡と思われます。まだ雪が残っていました。奥にあるのは教員住宅でしょうか。

さびたサッカーゴールですね。今でも使われているのでしょうか。

校門跡には土筆がいっぱい。わびさびの世界です。
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Comments: 2
- はじめっちほか無法者2匹+みならい URL 2015-06-08 Mon 12:07:37
飛仁帯も知円別も閉校してからもう4~5年くらいたつでしょうか?
飛仁帯は校舎も旧体育館も古くて、おそらく残っていないでしょう。
教員住宅が多く、地域の人がたはできるだけ他地域から通うことなく、
「海岸町」に住んで教育活動をおこなってほしいという意思を感じます。
サッカーゴール・・・というかホッケーのゴールですね、
ミニサッカーのゴールとしてもよく代用していたみたいです。
・・・開校中に新屋体できたんでしょうか?はじめっち
飛仁帯は閉校する数年前までは野球の地域少年団(学校少年団かも)があり、
少ない人数の中、活動していたっす。
小さい子は1年生あたりから入部していて、2年生くらいになるともう外野やらされてただよ。
知床は「自然」のほうが人間より強くて、「自然」におちょくられることも多くって、
外野を守っている低学年の児童が、山から下りてきた鹿にちょっかい出されて、
だぶだぶのユニフォーム脱がされかかったりなんかして・・・
コーチも監督も他の児童も気がつかなくて・・・
若いおえぃちゃん先生が職員室から棒(バット?)もって助けにいったりして・・・
最近じゃこんなドリフのコントみたいなシチュエーション教育現場では見なくなったなす。
・・・地域の人が「学校に若くてきれいな先生がたくさん入ってきた!」と言ってただよゆたかうわぁせくはらかも・・・(でもこれも年中行事の一環でホントうれしかったんだよ)
昔釧路の柳町体育館とかいう所で、(飛仁帯じゃないけど)
知円別のミニバスケのチームが試合してたのを見たことがあるのだ。
小さい併置校ではあったけど、がんばっていたのだ。
・・・中標津西竹も音更でバレーやってんの見たことあるのだつるみん
羅臼は小学校のグランドが雪捨て場となっていることが多く、
冷涼ということを考え合わせても、雪を強制排除し、
外のグランドが自由になるのは毎年5月中旬~下旬です。
飛仁帯のグランドもそうなのではないでしょうか、特に主のなくなった校庭はテン圧などもおこなわれませんし・・・
羅臼の野球連盟は球場はもちろん校庭も早期使用可能にしてほしいと訴えているはず。
・・・○澤さんがんばっているかな?みならいかのん- メンカ URL 2015-06-08 Mon 22:36:41
根室地区の学校はどこも急激には以降になっていきましたが、羅臼はそのスピードが一段と速いように感じます。
もともと町自体の財政が厳しいと言うことも有り、小規模校のためにお金は回せないというのも本音なのかもしれません。
ただ、校舎自体も解体されてしまうと、とくにそこで学んだわけでは無い私自身もなんだか寂しい気がしてしまいます。
現在、校舎跡には地域の交流センターが作られています。
結構立派な建物でした。
けれどもここでの写真のようにここが学校で会った残骸も無くなりいつかは忘れ去ってしまうのでしょう。
そのことが何ともいえず悲しいです。
これも少子化である、時代の流れでしょうか。